大切に育てていた芋虫がサナギになり、深い眠りから覚めて羽化したとき、私は”こんなはずじゃなかった”と思った。

 

私が愛していたのはぶよぶよとだらしない肉つきをした芋虫のイモ子だった。斑点のある緑色の皮膚も、カフカの小説を思わせる億劫そうな体の動きも、よく葉を食べる食いつき具合も、すべてがすべて大好きだった。

 

しかし彼女は唐突に”さなぎ”の形態に入り、硬直し、そして羽化した。虹色の羽を得て美しく風を纏う。それはひどく美しい光景だと、間違いなくそう言えるのに、どうしてかジャムがスコーンにしみわたるように広がる私の諦念のこころ。

 

そうたとえば、コンクリートの照り返しが白く眩しい九月の始まりに、新宿西口改札前で、ずぶ濡れの傘をもったスーツ姿の君とすれ違ったときの絶望にも似ている。

 

 

僕の夢は、もう叶わないのかしれないと思った。

そう気づいた瞬間に、僕は「夢が叶わないかもしれないと思ったときに読む本」という安直なキーワードでGoogle検索した。

愚かなことだ。どうせ何も出来ないくせに、最後には結局僕は本に頼る。どうしようもない愚かさだと思った。

 

アドバイスが必要だった。汎用的ではなく、親しみがあり、僕にカスタマイズされた正しい助言が。欲しいものは分かっていたのに、それを誰に求めればいいのかは分からなかった。

 

とにかくたくさんの本を読み漁った。僕は本に育てられ、本が第三の親のようなものなのだから。

もし明確な答えがたとえなかったとしても、きっと本は、文字は、せめて僕の役には立とうと努力してくれるはずだ。だって、彼らは僕の親なんだから。

 

 

 Personalization(自責化:自分が悪いのだと思うこと)、Pervasiveness(普遍化:あるできごとが人生のすべての側面に影響すると思うこと)、Permanence(永続化:あるできごとの余波がいつまでも続くと思うこと)。

 

 

ざわざわ。

遠くの音がまるで耳の中で鳴り響いているような感覚になる。幸せはどこにもない。この世界の果てまで探しにいったのに、ついぞ見つけることはできなかった。わたしは墨汁を滲ませたようなぼんやりした世界のなかでひとり、極彩絵具を探す旅に出て、そして単調に失敗した。愛はいい。かならず成功する。むろん、交際の申込みや結婚の事情に失敗することはあれど、ただ恋をする、それだけならば、決して間違えることも失策することもありえない。