わたしのことすき? って聞いたとき、あなたの答えは定められたひとつしかなくて、それ以外を答えたところでわたしは「はじまりの街」の村人のように結局おなじ質問を愚直に繰り返すだけ。ですので、答えは決まりきっている。ねぇ、わたしのことすき?

夢にも同じような局面がある。猫をおもわせるまんまるの瞳をわたしに向けた「夢」の子どもが、わたしに聞く。ねぇ、わたしのことすき? 「はい」も「いいえ」もいちおう選ぶことができるけれど、「はい」を選ばないかぎり、そして選び続けないかぎり、時は一秒たりとも進まない。永遠に昼のまま、初期装備のアバターで、わたしは「いいえ」を繰り返したいと思うことがときたまある。

好きでもない相手に愛情をふりまく女の気持ちは分からなくても、かつて愛してくれていたひと、そしてもう自分からは愛していないひとにたいして、ひょっとしたらその気持ちを一方向的に勝手に守ってほしいと思うことはある。誓いはどんな場合でも永遠であってほしくて、断続的なもの、あるいは断ち切れて死んでしまったような絆は、もはやかつて「存在した」ことすら否定したいほどの憎しみの源になり、ぎらぎらと質の悪い油のようにてかって依然のこり続ける。

おなじ質問をすることはもうできない。つまり、ねぇ、わたしのことすき?

結局のところわたしたちは、自分が納得するように生きてゆくしかないのだ。自分しか愛することができないのと同じように、納得も尊厳も安心もそして許しですら、自分から自分に与えるほかない。つまり、答えられるようにすること。じぶんのことがすきですか、という自分からの問いに。しかし、自分のことが大事なひとは多くいるのに、好きで好きでたまらなくこの世で一番よい人間であると思うとこたえる人は、たぶんぐっと少ない。

きみは私を傷つけるものにしか興味がない。

悪意をさかさまにして、きみのために口実を探し、私は剣をとる。