それは君が女だからだ、だから君は何かそういった幻想にすがりつきたいと思うのだ、とあなたは言うから、わたしは圧倒的な不理解をさびしがった。

理解してもらえないことほど悲しいことはなくて、そしてこれ以上にどうしようもないこともない。愛してもらえないこと、傷つけられることとは、圧倒的に違う。理解できない、というのは、君と僕とは違う世界にいるようです、さようなら、という善意の別離の言葉なので、覆すことはどうしてもできない。

 

あの白い塔が、今の私には懐かしい。

塀のなかみたいに窮屈なあの場所をうらんだこともあったはずなのに、今では郷愁の念がつよい。あの枠のなかに、わたしは青春を閉じ込めてきてしまった。原稿用紙のなかに描いた夢のはなしが、形を得る代わりに自分の手の届かない場所へと消えていってしまうのとおなじで、わたしは書くことによってなにかを失う。あるいは失いつづける。

だからこそ。喪失を愛する者にしか物語は書けない。不幸な者にしか書けないのではない。失いたいとつよく願う者にしか、真に書くことはできない。

 

きみはどう思う、と聞かれることが多い。たぶん平均的な二十代女性よりも多く、わたしは他人に「きみはどう思う」と聞かれている。

その質問はおそらく「きみは何も教えてくれない」というある種の不満の裏返しで、だからわたしはいつもこう言う。「いいえ、ほしいものなんて、なにひとつありません」。

 

あなたは欠損を嫌がる。それはあなたが生まれてからきょうわたしの前に立ち、わたしと目を合わせるそのほんの瞬間のところまで、あなたが強者であり続けていたからで、今日のあなたの困惑はきっとあなたのせいではない。あなたは怠惰を怖がり、栄光を喜ぶ。それがまるで本能で定められてるというふうに当然に。でもね、それは間違っている。

わたしは呪いのことばを吐く。あなたにとって、わたしが紡ぐすべてのことばは呪いになると知っている。もうずいぶん前から知っていたよ、ねえ、そんなに幸せだって自分を信じていたところから、「おれ」を失うってどんなかんじ?