四幕第一章 - 1 -


 一切の仔細を捨て置いて、分析士・キス・ディオールその人が音信を不通とし行方を完全に暗ましてから、既に三ヶ月が経とうとしていた。
「本当にあの人は勝手だ」
 思いがけず宙に放られたその言葉は、自分で思うよりも大きくなって響く。このままあの人にも聞こえたらいいのに、と思いながら、ストアは机上に据え置かれたままの円形の不思議な置物を見やった。
 それは不思議な色合いをしていた。青のような緑のような、黒々とした艶感ある材質。常に表面で煙が吹き上がり、かつそれが収束している。これはガイアというのだ、とキスは言った。
「ガイア?」
「ああ、星のことだ」
「こんなに小さいのに」
 そのあとキスは、数日にわたりその星を見つめ続けていた。日に透かしてみたり、手のひらで転がしてみたり、あるときは犬に食わせていることすらあった。いったい何なのか分からないが、色と質感を常に変化させる美しい宝石のようなのだから、もう少し大事に扱えば良いのにと投げやりに考えていた。
 ――その、翌日のことである。
 キスが唐突に、姿を消した。また例のごとく、突然体が小さくなったり犬になったり、あるいは置物に変化したりしたのかと、部屋中をあさってみたが、魔術の残滓を見つけることは出来なかった。何かしらに変化してしまったのなら、変化できなかった「なにか」が現場に残るはずだ。体が小さくなってしまったときにはシルクハットだけが中途半端な大きさで転がっていたし、犬になったときはもっと簡単で、服が一式残っていた。
 であれば単純に遠出したのかとも思ったが、外套は玄関横に掛けられたままだ。これを酷く気に入っているあの人が、置いて旅に出るわけもない。金庫の中を覗いてみると、一ガラットも減っていなかった。さすがに無一文で出かけるはずはない。というかここの金を持っていかれていたら、来月の家賃が払えなくて困るところだった。
 いったいどこにいるんだ。
 と思いこそすれ、ストアはもう大人なのでそんなに心配はしていなかった。まあ、自分でなんとかするだろう。そのうち帰ってくるだろう。だから、今は今のうちしか出来ないことをしておこう、と前向きに捉えて一人暮らしを謳歌していたのだった、が。
「そのまま三ヶ月が経ったと」
「その通りです」
 憔悴しきった顔で頷くストアに対し、なるほどと返答するステッキを握った男は、リュエルだった。
 彼はキス・ディオールの友人で、その点だけ言えばひどく奇人なのだけれども、本質的にはとても良い人だ。いつも唐突にキスを訪れ、ストアにも土産をくれる。今日も少し珍しい花束をくれた。初めて出会ったときの年齢が低かったからか、今でもストアのことを子ども扱いする数少ない大人の一人だ。(この世界では魔術士はその早熟な特性上、実際の年齢よりも精神的に成熟しているものとして扱われることが多い)
「さすがに心配だな。どこに行ったんだか」
「春の半ばに消えたんですけど、もう夏が終わろうとしているんですよ。いったいいつ帰ってくるつもりなんだ」
「きみ、仕事はどうしてたの?」
「いつも通りやっていましたよ。あの人がいなくなったから困ることといったら、三軒隣のテディのお婆さんの言うことが分からないぐらいです」
「彼女の言葉は特殊だからな」
「ええ、此間なんて、僕の顔をみて不思議に笑い出したので微笑み返してみせたら、次の瞬間泣き出されたんです。きっと僕は悪いことをしたんでしょうね、生涯理解できそうにありませんが」
「ああ、きっとそうなんだろうな。なんだか目に浮かぶようだ」
 リュエルが乾いた笑いを残して、紅茶をぐびりと嚥下する。
 コトコトと今朝温めた鍋が音を鳴らし、遠くからは鴉の鳴き声がした。吉兆だ。うららかな木漏れ日が、窓枠に反射して拡散的に室内に入り込む。美しい光のダンスを眺めていたら、どこかから子供の声までするようだった。
 酷く和やかな午後だ。
「こんな世間話がしたいわけじゃない」
「同感だよ、ストア。まあ、と言っても僕もキスの行き先に心当たりはまったく無い。とはいえ、一日二十六時間(註:この世界では、一日は二十六時間に値する。「一時間」という単位も厳密には違うのだけれど、混乱を減らすために訳で対応することとする)、常に一緒にいる君が知らないというのであれば、おそらくやつは何も手がかりを残していってないのだろう」
「もしかしたらあなたと一緒なのかも、とも思ったんですが」
「違うな。まあ、手紙が途切れたことは不思議には思っていたけれど」
「……実は、先ほどもお話したところですが、一つだけ手がかりのようなものがあるのです。解析の仕方も分からず、次につながる鍵も示されておらず、何も頼りになりませんが」
「あの宝石だね。球の形とは不思議だ。ガイアというんだったか」
 リュエルは立ち上がり、引き寄せられるようにガイアへ寄ってその光のなかを覗き込んだ。ガイアはきらきらしく、光をうまく反射して輝く。リュエルはしばらくの間、ガイアを上から下からと、丁寧に観察して見せた。そういえばこの人は学者なんだった、と今更ながらに思い出す。観察と研究と仮説設定が何よりも大好きな類の人間なのだ。
 やがてリュエルは、証明終了とでも言うように明朗に回答を告げた。
「これは鍵ではなく、鍵穴なのかもしれない」
「どういうことです?」
 謎かけめいた語り口に、ストアは一抹の不安を覚えた。キスならいざ知らず、リュエルは何の根拠もなく人を不安にさせるようなことを言う男ではない。
「つまり、さまざまな謎を解き明かし、その答えをもって最後に開くのがこの球、という感じがしているんだ。だからこの球を穴が開くほど見つめても、おそらく何も出てきやしないというわけさ」
「でも、それ以外に手がかりはないんです。……ああ、彼のことが心配なのか、そうでないのか、だんだん分からなくなってきました」
「まあ、分からなくはないよ。しかし、奴の若いときにはね、もっと無茶なことをしたものさ。今回が初めてというわけでもない――と言ったって、君にとっては初めてなんだから、とても心臓がもたないだろうが。それにね」
 唐突に言葉を切ったリュエルに、不安が募る。彼は普段、言葉を切ったりしないのだ。思わせぶりなことなどしない。
 それゆえに、彼の今日の話しかたは不思議だった。
「はい?」
「ストア。実は、すごく言いにくいんだが」
「なんですか?」
 悲報、もしくは訃報を告げられるような、後ろ暗い気持ちがした。自分はいったい、何におびえているのだろうと、恐怖している自分そのものすら怖い。
「君に、朗報なんだか悲報なんだか、分からないが、この報告をしなければならないことを、僕は光栄にも不幸にも思うよ。実はねストア、君の師匠が呼んでいる」
「師匠というのは、工房の?」
 魔法使いの弟子は、師の名前を直接呼ぶことができない。
 キスではなく、工房の師匠を指していることは明白だったけれど、念のため確認することにした。
「ああ、そうだ。キスは君の師ではなく、友であり分析者なんだろう?」
「まあ、本人はとりあえず、そうだと言っていますね」
「ハハ、冷たいことだな。……さて、そろそろお暇しようかな。聞きたいことは聞けたし、君が喋りたいことは喋れたはずだ。僕も伝えなければいけないことは伝えられた。もうひとつ僕から君に個人的に言いたいことがあるとすれば、まあ、元気出せよってところかな」
「えっ、もう帰るんですか?」
 恨みがましい口調になってしまったけれど、仕方ないだろう。久方ぶりに出会った話の通じる相手なのだ。この部屋に一人きりは意外にもさみしい。家が広すぎる。
「まあまあ。師匠の話を聞けば、そんな悠長な不安や悩みもふっとぶはずさ」
「僕の師匠がそんな幸せをラッピングしてプレゼントしてくれるとは、とうてい思えないのですが」
「えっ、幸せ?」
 リュエルは一瞬、時が止まったようにぽかんとして見せた。おかしい、とストアは思う。何か不可思議な、ストアにとって不都合なことが起きている。
 リュエルがぼうっとしていたのはごく短い時間のことだった。彼はその人好きする顔を崩して、ハハハと笑った。
「すまない、すまない。成長した最近のきみは少しだけ大人になって、すれていたからな。いや、君がもともと純朴で善良な人間なのだということを忘れていたんだ。いいかい、君が今の不安を吹っ飛ばすのは、君の師匠が幸せをくれるからじゃない。君の周囲にいる大人が、少しでも安らぎを持ってきてくれたことがあったかい? ――君の不安がふっとばされるのは、君の師匠が、より激しい嵐を持ち込んでくるからさ」
「嵐ですって?」
 ストアは自身の浅はかさを知り小さく呻き、リュエルが先ほど贈ってくれた花束を見つめる。やけに奇妙な取り合わせだと思ったのだ。メリッサの葉に、ニワトコの飾り。中央にひそやかに咲くアルメリアの花。
 ――どれも、花言葉が、『同情』。


「弟子、ですか?」
 ぽつんと呟くように発したその言葉は、まるで行き場をなくしたように宙をふらついているように見えた。今日はやけに、自分の言葉が置き去りになる。
 なんだか現実味のない、ふわふわとした感触が起き上がる。慣れないことをするときは、いつもこうだ。
 師匠は右手にある羊皮紙をくるりと回しながら、いつもどおり、ストアには一瞥も与えずに話を続けてみせた。
「そう、来週、朝一番にここに到着する。初日は手取り足取り教えてやりなさい」
「あの、出来る気がしません」
 早めに切ってしまおうと素直にそう言えば、眼鏡の奥の水晶玉のような瞳がぎょろりと動いた。
「ストア。確実な成長を確約して、弟子を持つものなどいない」
 叱られている、と気づいて目を伏せるも、次の言葉が出てこない。なんにせよ自信が無いものは、無いのだ。
 弟子を持つほど偉くなったつもりも立派になったつもりもない。ついでに言うと、今はキスもいない。
 ……はあ、と嘆息をつく。
 結局のところ、キスがいないから嫌なのかもしれないとも思う。彼がもしいま隣にいたら、絶対に「やれ」と言っただろうし、ストアはそれに従ったような気もする。
「キスは僕を迎えにきたとき、自信を持っていました。任せろと言ってくれていて」
「君の師は私だよ。あいつは分析士、少し違うのだ。私が君の将来について、何か一つでも確約したことがあったかね」
「……ありませんけれど」
 工房に初めて訪れた朝のことを思い出す。霧は深くたちこめていて、何処かから鴉の鳴き声がしていた。とんでもないところに来てしまったのではないか、という底冷えした恐怖と不安とがぐるんと体のなかで回る。単純に手先も冷えていて、冬の初めのことだった。
「自分の年齢を思い返したことがあるか? 工房を出てから、君はもう十四年にもなるのだぞ。カリトやキーラがすでに何人弟子を持っているのか、君は数えたことがあるか」
「ありません……」
 確かに、客観的な視点も交えて冷静に考えると、少し甘いことを言い過ぎているような気もする。魔術士でなくとも一人前とされる年齢まで、ストアは来てしまったのだ。そもそも杖を得た時点で失われるはずの周囲からの寛容の目が、たまたま『最年少術士』だったがためにそのままになり、継続して十年が経った。大人になるときが来るとしたら、それは今日ではない――もうずっと前、十四年も前のあの日に、訪れていなければならなかったのだ。かなり引き伸ばしたほうといえるだろう。
 ストアは深く頷いて、師の顔を仰いだ。覚悟を決めなくてはならない。
「やります。その子の名前を教えてもらえますか?」
「ああ」
 師匠はそこでようやく杖を持ち、何か迷うようにして髭を指の腹でいじる。
 ――迷う?
 いや、師は迷わない。そのはずだ。嫌な予感がする。
 そうして、訪れる。
 ストアにとって、第二の天啓が。
「彼の名前は、メロ・ディオール
「メロ――なんですって?」
「聞いたことがあるような語感と苗字だと思うが、君の予想は外れていない。自分であとで占うといい。ただし答えを先に教えておくならば、君が兄と仰ぐあの子の、三親等内の血縁者だ」

 

四幕第一章 2 へ続く