青鹿


 ぽーん。
 石を飛ばす、飛んでゆく、その軽やかな曲線を見つめながら、宮部はとなりを歩く伊木の横顔を盗み見た。いつだって彼らは連れ立って歩いていたので、わざわざ今、伊木の表情を確認する必要なんてない。たいしたイベントもない七月の終わり、夏休みモードに馴れ始めた倦怠をまとう身体をともなって、ふたりは歩いている。
「付いてこなくてもいいのに」
 見つめられ続けながら、伊木はふたたび呟いた。用があるのだ、と宮部は淡白に返す。
 用? 図書館に行くんだ。そんなのいつだっていいだろ、こんな朝早くじゃなくたって。友達と歩くのに理由がいるのか? そんな殊勝な性格してないくせに、よく言う。
 じゃれた会話を切るように、伊木はため息をこぼした。
「なにか気になることがあるんだろ。言ってみろよ、今度はなんの霊が憑いてる?」
「べつに、たいしたことじゃないさ」
「お前の『たいしたことない』は、ぜんぜん、これっぽっちも信じられないんだよなあ」
 言って、伊木は再び小石を蹴った。
 重力に逆らって、たいした引力も斥力も磁力も電磁誘導も弱い力もないうちに、伊木はその小石を踊るように操っていた。まるで見えない透明な糸があるかのよう。いつだったか、宮部は伊木に尋ねたことがある。どうやって、石を動かすのか? 彼は答えた。
「どうやって腕を動かすのか、どうやって幽霊を見るのか、おまえ説明できるのか?」
 問われて、宮部は完全に口をつぐんだ。たしかに、「できる」ことは「できる」から「できる」のだ。宮部が動物の霊を見ることが「できる」のと全く同じように。
 理由なんてない。どうしてたった二本の足でもバランスを崩さずに歩けるのか、犬に聞かれても答えられない。どうして皮膚というやわらかい表層しか持たず、外殻を捨てているのに、毎月かすり傷をつくりながらも何とか生きていけるのか。どうして目が二つあって同じ方向を向いているのに混乱しないのか。あるいは爪も牙も保護色も足のはやさも持たない人間が、どうやってここまで繁栄を極めることができたのか――も。
「分からないことはどうしたって説明できない」
「ほんとうに大切なことは目に見えないのと同じように?」
「ファンタジーだな、伊木啓太。俺はゲーテの話をしたんだ」
 伊木はもう一度顔をしかめ、そして唐突に笑った。彼はよく笑う少年だった。
「でも、俺にとって大切なことはたった一つだ。宮部、お前もきっと同意してくれると信じてる。ああウィルヘイム、この真実は決して変えられないということなんだ。俺は小石を意のままに動かせるし、君は動物の霊が見える」
「おおウェルテル。君は俺に手紙をあてて死ぬ男の役でもやるのか?」
 伊木があまりに劇画的な物言いをするのに、宮部は半ば飽きかけていた。しかし彼の、括弧書きの台詞を唱えるような語り口には理由がある。単純に単調に、彼は演劇部の部員で、役者で、近々大舞台を控えているのだ。