あるいはまだ文章が書けているのかもしれないと思うこともある。でも、そんな考えはすべて、ただの幻想で、つまらない感傷で、わたしのわがままだったんだ。と、思うほうが楽なこともある。とくに結論を出すつもりはない。とくに愛情を捧げる予定はない。ただ、すべては連なる大蛇がうねりながら移動するように、一つに繋がっていて、圧倒的なちからで、ただ前進してゆく。とりかえしのつかない場所へ、あるいはとりもどしようもない彼方へ。

 

 きみが人に好かれる理由を考えてみたんだが、たぶん、それほど面白い分析結果は出ないな。だってきみはきみに好かれているけれど、きみはわたしに好かれているけれど、たいていの人間がきみのことを好きだけど、でも、それは、たぶんきみがそれなりに丁寧でいいやつで、あとちょっとだけ美しいからだ。このどれひとつとて欠けてはならない。きみは丁寧でなくてはならないし、いいやつでなくてはならないし、美しくない人間であってもならないし、あるいは美しい人間であってもならない。すべてがいいぐあいにちょうどよく、でもきみはとんでもなくいいやつで、だからわたしたちはきみのことが好きだ。

 

 こんなふうに連ねる文章ヲつづっていると目が痛くなってくる。どこかにすべての回答があるのではないか、だってこんなにも自然と漠然と、テキストは続いてゆくのだもの。道は平たくなくてはならない。山を登ってはならない。わたしの書きたかった文章は、わたしのために存在するものでなくてはならない。――本当にそう? もちろん。わたしは、わたしのためのことしかできない。そうでないようには作られていない。

 

 ある程度のところで改行を追加したくなるように、なにごとにも程度や限度というものがある。ちょうどいい塩梅とでもよべるものが、この世界のいろんなところに仕掛けのように存在していて、そのひとつひとつをわたしは解いている。わたしだけではなくて、世界中の人々みんなが、その仕掛けをひとつずつ解き、そして問題を追加して、魔法をかけたりといたりしながら、互いに夢をまわしあっている。ほら、きみにもすこし、きっと心当たりがある。