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ぜんぶ嘘なので気にしないでください。

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竜と母音

言葉なんて教えなければよかった、と今更ながらにルルエは後悔をした。喋らなければならない理由なんてなかった。彼が言葉を覚えなくてはならない理由なんてなかった。ではなぜ「あ」「い」「う」「え」「お」の母音の発声からひとつひとつ丁寧に教えてやったのだろう、と考えてみても、つい、出来心で、としか言いようがない。ある日彼が、人の言葉をある程度聞いているようだということに気が付いた。もしかしたら教えれば簡単な意思の疎通ぐらいはできるようになるのではないかと思った。話す竜がいたら、それはそれでひとつ面白いだろう。ルルエの研究テーマは言うまでもなく竜の飛翔に関するもので、竜の身体能力に興味はあれど、言葉を話すかどうか、なんて、そんな、そんな――そういうことにはまったく興味がなかった。だから彼が、頭空っぽの暴れ者であろうと、深遠なことを思考する高貴なる生き物であろうと、どちらだってかまわなかった。

竜の泣き声は狼に似ている。身体の構造はまったく異なるのに、声がおなじだなんて不思議だ。飛ぶ仲間という意味では、鳥に似た高い鳴き声を出してもいいようなものなのに、竜はその伝承・伝説の持つ印象通りに、大きく吠えるように鳴く。しかしそれはあくまでも仲間を呼ぶときに出す合図の大声であって、普段はさほど声をあげない比較的静かな生き物として研究者内では扱われていた。穏やかだし、頭も悪くない。もちろん暴れ者の個体もいるが、総じて飼いやすい生き物と言えた。エサ代はばかにならないが……。

林檎を一つずつ、彼の口へ放っていたときだった。多少確度に変化をつけて、いろんな方向へ投げてやると、彼は多少嬉しそうにその林檎を丸呑みするのだ。竜は芸をしないが、この程度のお遊びには付き合ってくれる。また、ルルエにとってありがたいことに、ある程度の信頼関係があれば、背に乗せて空を飛んでくれる。飛翔の感覚はなにものにも代え難い。どうしてみんな竜の研究者をやらないのだろう、とときたま不思議になるぐらいだ。

20191216

なにかを書けたらいいな、とおもってこのブログに帰ってきました。ここはいい、まるで誰かに手紙を書くみたいにして文章を綴ることができるから。

ほんとうに愛することのできる文章を見つけたい、と思っています。甘くて飲みやすくて、色はてらてらと移り変わり、あまりおいしそうに見えず、微量の毒が含まれていて、永遠に忘れがたく、なんども飲みたくなる、そういう文章を見つけたい。自分でそういうものを書きたい、と思うこともあったけれど、いまはどちらかというと、そういうものを「読みたい」と思っています。

あるいはとても好きなアニメーションや映画の文章起こしをしてみるのはどうでしょうか。むろん、二次創作よりもアウトに近いものなので、公然の場所での公開は行えないでしょうが、だれかに「見せる」ために文章を書くなんていう段階にはとうていおいつかず、とにかくわたしの書きたい文章を探さなくてはならない、といういまの状況においては、それなりによい選択肢・解決法なのではないかと思っています。とはいえ、なにを対象とするかは難しいですね。ほんとうは、アニメーションでしか到底表現できないかのように思われるような、あいまいでふわふわとした、夢のなかみたいな作品を、文章にして、本という固い箱の中に閉じ込めて、もう出られないようにしてしまいたい。

 

寂しくないと、哀しくないと、文章を書けないものなんだろうか。と、本気でそんなことを考え始めています。

 

もしもほんとうにそうなんだとすると、何かを捨てることで取り戻せるものがいまのわたしに少しでもあるのなら、いままで大切に編んできた布の、片方を切り取って、ここに置いたまま、すすんでいくことが、もしかしたらできるのかもしれない。

 

 

 

とりあえず、来年はどこかにひとりで旅行にいこうと思います。いや、たまにはやってるんですよ。2泊とか3泊とかで。でももう少し長く、なんならGWいっぱい使ってでも、どこかに一人引きこもって、生活する、そういうことをやってみようかなあと思っているんです。自分探し、と口のなかでつぶやいてみた。ばかみたい。もう暗闇をいくら駆け回ったって、転がしてくれる小石すらないことに、はやく気づいてしまったほうがいい。

20190913

 

2019年、眩暈が始まった。

眩暈、というもののほんとうを、わたしは今まで知らなかったんだろう。こんなにもぐるぐると頭が回転する、光が痛い、正直ヴァンパイアにでもなったかのような、頭を押さえてカーテンの後ろへ隠れたくなるようなくるしみ。自宅近くの眼科に受診予約を入れて、職場を定時退社した。こんなに視界の揺れる日にも17時30分まできっかり働こうとするなんて、グロテスクに愚かだ。社畜、って言葉が思い浮かぶけど、正直なところ、違和感に気づいたのは17時になるちょっと前で、あと30分我慢すればいいだけだと思うと、周りの人に「早めに帰らせてください」と言うのが面倒だった。ただの怠惰だ。

視界の不調は何か月か前から始まっていた。2回前の臨床心理士との面談でも訴えた覚えがある。カウンセリングは、1か月に1度、自分の状態をスクラップするみたいに簡易記憶するのに役に立つ。ああ、前々回、先生にあの話をしたな、って思い出すだけで、少なくとも2か月以上前からわたしが目の問題に苦しんでいることが判明する。

夕闇がじんわりと広がりつつある空の下を歩きながら、暗がりだと症状がましになることに気づく。そういえば以前は、夜の方が好きだった。突然昼を好ましく思うようになり、陽光や木漏れ日がどうしようもなく懐かしくなる体質になったのだ。そうだ、元々、そもそも、わたしは夜が好きだった。どのぐらい夜が好きだったっけ。

中学校のときに書いていたブログのURLは、指が覚えているから直打ちできる。アクセスしてみた。闇が好きだという話を探そうとした。しかしその前に、とんでもなくくらくらした。どうでもいいことが痛々しく書かれていた。ほんとどうでもいい。しかし世の中のライトノベルとか小説とかって、こういう痛々しい文章を書く人間が読むんだよな、という観点で見ていくと、なかなか様々な発見がある。この莫迦みたいな文章を書く若き人間に、「人を信じろ」とか「謙虚になれ」とか「勇気を出せ」とか、説いてやりたい。とくに「謙虚になれ」のほう。この文章も、10年後に読んだら死にたくなるぐらい酷いんだろうか。ひどいんだろうな。こういうブログの記事をふつうに読んでくれていた友人および両親ってすごいな、と思う。

で、そんなことはどうでもよくて今日のわたしの視野の苦しさのはなしだ。

強い光(たとえば蛍光灯)を見ていられない。目を閉じると楽になった感じはある。暗がりにいればだいぶマシになるが、明るい場所で作業していると、目の奥からじんわりと疲れが広がったような感じがする。たまに小刻みに左右に視界が揺れることもある。そのときは15分ぐらいすれば治る。

だいたいの症状を頭のなかに入れながら帰路を急ぐ。

実は医者は嫌いだ。とはいえ、結構目の痛みがひどくなってきていて、なにかしらの病気ではないかという恐れもあったので、同僚の勧めもあり一応予約を取ったけれど、ほんとうは全然行きたくなかった。まあ、病院が好きって人はいないだろうけれど。今日だってほんとうは予約をする一歩手前でやめるはずだった。気づかないうちにいつのまにかエンターキー押しちゃってて、確認画面がなかったので予約完了のメッセージが表示されてしまい、仕方なく追い立てられるように会社を出てきた。

一度も意識したことはなかったけれど、眼科は家のすぐ近くにあった。門構えはどちらかというと純喫茶みたいで、手洗いと職員休憩室しかない一階の壁には絵画が4つほどかかっている。床はオレンジのダイヤ模様の入った旧式のタイルが敷き詰められていて、弱弱しい光を放つ電灯が上から重たそうに釣り下がっている。シャンデリア、というほど豪勢ではないが、裸の電球というわけではなくて、そのあたりの中途半端な修飾が昭和っぽい。

どうして昔の階段ってこうも急なんだろう、スペースの問題かな、とか考えながら手摺を頼りに二階へ上がる。眼科って、もれなく目がかすんでたり頭が痛かったりする人間が通う場所なのに、こんなに急な階段があっていいのかよ、と思ったけれど内科や外科や小児科に比べたら、急患や重病人がいないだけまあ許されるか。

受付には3人ほどの女性がいた。よくあるカウンター形式じゃなくて、これまた古風な、なんていうか寮の入り口で寮母さんと鍵の受け渡しをする机みたいな、狭くて仕方ない小窓だけがひとつ取り付けられている形式の受付だ。少しかがんでのぞき込むようにしないと、相手の顔が見えない。ラーメン屋の一蘭でもあるまいしと、一応すこし膝を曲げて、視線が合うように「すみません」と言ってみる。はいはい、と答えが返ってきて、問診票を書く。保険証をわたす。

昔の受付って、どうしてこうも狭く、また相手の顔が見えないようになっているんだろう。平均身長が小さかったから、これでも見えていたんだろうか? なんて思っちゃったけど、よく考えたらわたしは平均身長より十センチ以上小さい人間なんだから、わたしがかがまないといけない以上、二十年とか四十年前の日本の人間だって同じだったはずだ。意外と「顔を合わせて」みたいな価値観がない時代だったんだろうか。そんなはずないか。単純に不合理だったのが、時代を経てちょっとずつ改良されていっただけなのか。

狭い待合室は、これまた革張りのソファやぶあつさのあるテレビなど、いまここだけは昭和時代なのだといわれてもうなずけるぐらい「昔」の香りがしていた。おばあちゃんの家がこんな感じだった気がする。どでかいコケシがあったり、大きな壺に枯れ枝が挿してあったり、テレビ台の中に古い雑誌がたくさん入っていたりするあたり、特にそれっぽい。六人ぐらい待っている人がいた。みな少なくともおばさん・おじさん以上で、若いと呼べそうな人は職員ふくめ私しかいなかった。結構繁盛しているみたいだ。あと二人ぐらい人がきたら、もう座れなくなりそう。

病院の壁って、ポスターがたくさんはってある。目が変だ、頭が痛い、と言いながら眼科に来てまでKindleで本を読むのはなにやら冒涜的に思えたので、壁にはってあるA1サイズのポスターを一つ一つ読んでいった。目がかすむ。眼科に貼るポスターなんだから、あんまり文字を小さくしないでほしい。

名前を呼ばれて、測定をするので、と機器の前に座らされた。まさかこれは、と恐ろしくなる。「風が出ますからね」と言われて、身体が硬直する。わたしは今までやってきたすべての検診・検査のなかで、これが一番きらいだ。子宮頸がん検診の歯ブラシごしごし検査よりも、マンモグラフィのぺたーんとなるやつよりも、鼻に綿棒突っ込まれるよりも、この、眼球に風をふきつけてくる検査、何を調べているのか知らないが、とかくもこれが一番嫌いだ。

はい、力抜いてーと十回ぐらい言われながら、頑張って目を開く。ちょっと触りますね。とまぶたを押し上げられる。わたしも別に子どもではないので、機器に取り付けられていた手摺のようなところをぐっと握って、額をくっつけ、なんとか目を開こうとする。風がやってくる。なんどかプシュプシュやられた。たぶん、わたしが動くからうまく撮れなかったんだろう。

「すみません、これ怖くて」との情けない声に、そうですよねーと柔らかく対応してくれるのをありがたがりながら、なんとか検査を終える。ほんとなにを調べているんだろう? これ。とあまりに気になったので検索してみたら、眼圧検査であることを知った。

名前を呼ばれて立ち上がり、医師の前の丸椅子に座る。この椅子がほんとうに嫌いなのだ。病院に来たときにしか座らない、丸くて、ローラーがついていて、パイプっぽい安物の作り。

 

結局、視界の不調の原因は分からなかった。医師は腕組みをしながら「分かりませんが」を枕詞にいくつかの診断を下した。いや、分からないんじゃないですか。と心のなかで何度か言い返した。まあいい。なんだか重篤なものが見つかったわけではない、というだけで……それだけでもういい。

 

「慰め程度」の目薬をもらった。ほんとうに医師自身が「慰め程度」とそう言った。結局ぜんぜん使っていない。未だに視界が横揺れすることがある。

 

 あるいはまだ文章が書けているのかもしれないと思うこともある。でも、そんな考えはすべて、ただの幻想で、つまらない感傷で、わたしのわがままだったんだ。と、思うほうが楽なこともある。とくに結論を出すつもりはない。とくに愛情を捧げる予定はない。ただ、すべては連なる大蛇がうねりながら移動するように、一つに繋がっていて、圧倒的なちからで、ただ前進してゆく。とりかえしのつかない場所へ、あるいはとりもどしようもない彼方へ。

 

 きみが人に好かれる理由を考えてみたんだが、たぶん、それほど面白い分析結果は出ないな。だってきみはきみに好かれているけれど、きみはわたしに好かれているけれど、たいていの人間がきみのことを好きだけど、でも、それは、たぶんきみがそれなりに丁寧でいいやつで、あとちょっとだけ美しいからだ。このどれひとつとて欠けてはならない。きみは丁寧でなくてはならないし、いいやつでなくてはならないし、美しくない人間であってもならないし、あるいは美しい人間であってもならない。すべてがいいぐあいにちょうどよく、でもきみはとんでもなくいいやつで、だからわたしたちはきみのことが好きだ。

 

 こんなふうに連ねる文章ヲつづっていると目が痛くなってくる。どこかにすべての回答があるのではないか、だってこんなにも自然と漠然と、テキストは続いてゆくのだもの。道は平たくなくてはならない。山を登ってはならない。わたしの書きたかった文章は、わたしのために存在するものでなくてはならない。――本当にそう? もちろん。わたしは、わたしのためのことしかできない。そうでないようには作られていない。

 

 ある程度のところで改行を追加したくなるように、なにごとにも程度や限度というものがある。ちょうどいい塩梅とでもよべるものが、この世界のいろんなところに仕掛けのように存在していて、そのひとつひとつをわたしは解いている。わたしだけではなくて、世界中の人々みんなが、その仕掛けをひとつずつ解き、そして問題を追加して、魔法をかけたりといたりしながら、互いに夢をまわしあっている。ほら、きみにもすこし、きっと心当たりがある。

 

 

愛情深いあなたに手をわたす、その呼吸のしかたを覚えていて、わたしは深く息を吸いあなたにわたすぶんの酸素をうみだしている。せかいはひとつ、Roastedされたうつくしくもないあなたの顔のひふが、わたしのことを忘れてしまってからもう何年もたつ。禁じられた項目をひとつずつ消化して、あなたのてが怒ってくれるのを、わたしは待ち続けている。

最近は文章も書けない日々が続いていて、少しずつこの病状が重たくなっているような気がしています。それはわたしの仕事がいささか忙しすぎるからなのかもしれないし、環境が変わったからなのかもしれないし、冬だからなのかもしれません。雪のせいかもしれない。

ただ、最近のわたしはこだわりも失ってきていて、大切なものも少しずつ和らぐようになくなり、小説や映画にも以前ほど親しみを抱かなくなりました。書籍というものに対する愛着は依然として持ち続けてるものの、なかなか読む時間がないので未読の本が部屋中にあふれ、その山のことを思うと本屋に立ち寄る気にもなれず、家には魅力的な本が(わたしの選んだ、読んでみたいとかならず一度は思った本が)文字通り山となって存在しているにもかかわらず、ページをめくることもなく、いや、毎日昼の休憩時間には本を読むようにしているのですが、やはり片手間で読むのでなかなか集中もできず、という日々です。

文章を書くのが以前よりも下手になったような気がしますし、あるいは以前からこの程度しか書けなかったような気もします。少なくとも天啓のようなただしい文章を書くことは難しくなってきました。以前の自分が書いた、以前の自分であれば花丸を与えたであろう文章が、ただの文字の羅列、それもつまらない羅列にしか見えず、色彩が感じられないというか、談話室のなかで誰もがしゃべっているのに自分にだけ声が聞こえていないような、不可思議な不自然さがあって、まっすぐに受け止められません。書く能力が失われたというよりも、読んで愉しむ気持ちが失われたのではないかと分析しています。

世界がつまらないことは分かっていましたし、たいして面白くもないことも知っていましたし、つらいことがあるのも承知していました。でも、こんなに平坦に退屈だったなんて。つらいことなんてなにひとつないのに、このまま生活を続けていてもどうしようもないのではないかと思うのです。しかし、誰になにを言ったところで解決できないことです。わたしは、わたしのためには、わたしのこころのためには、結局文章を書けるようにするしかないのでしょう。でも、どうやって?

*

ひょっとするとわたしの文章はわたしが思うよりもずっとまともなのかもしれないし、あるいはぜんぜんそうではないのかもしれない。

「いただきます」は何故言うのか?

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あれね。なんでなんでしょうね。けっこう永遠の謎だったりします。

 

「おはよう」とか「おやすみ」とかは分かるんですよ。コミュニケーションのきっかけというか、そういう類のものであって、人間同士の「挨拶」ですよね。でも「いただきます」ってけっこう、誰に言っているのかも、ほかの挨拶に比べると多少不明瞭というか、一人でも言うところをみると食材にたいしてかけている言葉のように思いますが、手作りの料理をいただくときなんかは正直作り手の人に向けて言っていますし、なんとなくシーンによって若干の使い分けがある言葉だと思うんですよね。そういえば異国にいたころはだれも「いただきます」してなかったな。

 

ところでこういうところでは上記のような一般的なお話よりも個人的な体験のことを書いたほうがよいかと思いますので(上記のような体験にもとづかないだれでも書けることはうまく書けるひとがきっとすでに書いていることでしょう)、わたし自身の「いただきます」体験についてお話すると、そもそもわたしは食事をするのが苦手で、食べるたびに胃のあたりになにかがつっかえるような痛みがあったり、脂分の多いものをたべると気持ち悪くなりやすかったり、そもそもひどい小食だったりということもあり、あんまり「食事」にたいして好意的な感情を抱いていません。一日に三度もお腹が空くのも腹立たしいほどなのですが、しかし当然食べなくては本も読めないし働けないので、しぶしぶ食べています。好きな食べ物だってありますが、もしもわたしがこの先「今後一切なにも食べられない(=食べなくてもよい)」のと「(お金に糸目もつけず)好きなものだけ毎日食べていられる」のとどちらか選べと言われたら、たぶん前者の、もう永遠に食事をしなくてもかまわないほうのわたしを選ぶと思います。だからこそ、というとなんですが、かのシモーヌ・ヴェイユの、「すべては生い茂り日の光だけを受けて生きていくことができない、食事をしなければ生きていくことができない、そこからすべての罪が生まれている。植物に罪は存在しない」(意訳)の言葉を初めて読んだとき、その一文の力にくらくらして、そのとおりだ、すべての罪は、わたしたちが植物ではないこと、なにかを食べなくては生きていけないことから発生しているのだ、とものすごく納得しました。

 

一時期、もう十年以上前のことですが、わたしは「いただきます」を言うたびに、目の前の食事が「生きていた」ころのことを考えていました。魚であれば、想像できるなかでいちばん美しい海をおよぐすがたを。ひれで海をかき、水がうしろへ流れ、ただまっすぐと、つめたい水のなかを進んでいく痛覚のない感覚。鳥であれば大空。夕日の向こうを目指す翼や、泥をつかむ足のゆび。生きていることについて不審に思っている人間の自分が、それでも毎日なにかをころして生きていることについて、考えても答えが出ず、とはいえベジタリアンになりたいのかというと、動物と植物の命とのあいだにふしぎな壁を明示的に設けてしまうことについてもよしとはできず、かといって何も食べないことはできない(なぜなら、わたしは光を受け生い茂り生きていくことのできる植物ではないから)。しかもわたしは他人よりもよく食事を残す。寮で出てくる食事は、味は悪くなかったけれどだいたい量が多くて、いつも生ごみに捨てる。

 

その贖罪をしたかったのか、考える材料集めをしたかったのか、動機は覚えていませんが、とにかく食べ物について、「いただきます」のたびに、そういう想像をしていました。この内臓がちゃんとあるべきところにおさまっていて、動いていたときのこと、死んだ瞬間のときのこと。これを考え始めると、当然ですが、ものすごくご飯が美味しくないんですよ。生きていたときと、死体になったばかりのときと、目の前の料理とを、グラデーションを重ねるみたいにして、空想のなかで表現すると、ほんとうに料理って、おいしくみえなくなるんです。でもそのときのわたしはそれでいいのかもしれないと思いました。きちんと想像した結果、食事をするたびに気まずく思うのであれば、たぶんそれこそが正解なんだろうと思ったのです。そういうふうに自分のなかで「いただきます」の儀式を使おうと思いました。数年後にちょっと考えが変わってやめてしまいましたが、結局あの気配はいまでも尾をひいていて、単純にそれだけが理由ではありませんが、やっぱり食事は苦手です。(たのしく出来るときももちろんありますが、ベースとして食べることじたいは好きではなく面倒であり、苦手である、ということです)

 

この話をすると美味しいご飯に連れて行ってくださるかたも多くて、それはたいへんありがたいことだと思っています。美味しいものを食べるのはわたしも好きですし、好物だってありますし、うれしいことでもあるのですが、しかしどうしたって食べることへの原則的な苦手な思いは結局克服されないままです。

 

さてこんなところまで読んでいただけている方はたぶん根気強い方だと思うので、調子にのって関係ない話まではじめてしまいますけれども、わたし「ほんとうのいただきますとは」みたいな論が嫌いなんですよ。よく家事系の話とかで、「いただきますの本来の意味とは」とか書いてある記事があったりするじゃないですか。あと「ほんとうの女子力とは」とか「ほんとうの男気」とかもきらいですね。ほんとうってなんだよと。「ほんとう」がほんとうにあるものについて論ずるならともかく、「いただきます」や「女子力」なんて曖昧あるいは儀式的・風習的なものに「ほんとう」なんてないじゃないですか。ズバッと言いたい人間の押し付けがましい気力のようなものすら感じる(言いすぎ)。一人でつぶやいてるだけならいいんですけど、居酒屋とかでとうとうと語られるのがほんとうに嫌いですね。ほんとうに関係のない話だった。

 

 

なぜ「いただきます」と言うのかは、正直わからないままですが、むかしは自分なりに意味づけをしていたときもありましたし、それが失われたいまもなんとなく言うようにしています。しかしそこに理由があるのか、これは礼儀なのか儀式なのか、ましてや意味も、ほんとうのところはわからないままです。

 

(というかみなさん私にこういうご質問するの好きですね。)