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ぜんぶ嘘なので気にしないでください。

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20190913

 

2019年、眩暈が始まった。

眩暈、というもののほんとうを、わたしは今まで知らなかったんだろう。こんなにもぐるぐると頭が回転する、光が痛い、正直ヴァンパイアにでもなったかのような、頭を押さえてカーテンの後ろへ隠れたくなるようなくるしみ。自宅近くの眼科に受診予約を入れて、職場を定時退社した。こんなに視界の揺れる日にも17時30分まできっかり働こうとするなんて、グロテスクに愚かだ。社畜、って言葉が思い浮かぶけど、正直なところ、違和感に気づいたのは17時になるちょっと前で、あと30分我慢すればいいだけだと思うと、周りの人に「早めに帰らせてください」と言うのが面倒だった。ただの怠惰だ。

視界の不調は何か月か前から始まっていた。2回前の臨床心理士との面談でも訴えた覚えがある。カウンセリングは、1か月に1度、自分の状態をスクラップするみたいに簡易記憶するのに役に立つ。ああ、前々回、先生にあの話をしたな、って思い出すだけで、少なくとも2か月以上前からわたしが目の問題に苦しんでいることが判明する。

夕闇がじんわりと広がりつつある空の下を歩きながら、暗がりだと症状がましになることに気づく。そういえば以前は、夜の方が好きだった。突然昼を好ましく思うようになり、陽光や木漏れ日がどうしようもなく懐かしくなる体質になったのだ。そうだ、元々、そもそも、わたしは夜が好きだった。どのぐらい夜が好きだったっけ。

中学校のときに書いていたブログのURLは、指が覚えているから直打ちできる。アクセスしてみた。闇が好きだという話を探そうとした。しかしその前に、とんでもなくくらくらした。どうでもいいことが痛々しく書かれていた。ほんとどうでもいい。しかし世の中のライトノベルとか小説とかって、こういう痛々しい文章を書く人間が読むんだよな、という観点で見ていくと、なかなか様々な発見がある。この莫迦みたいな文章を書く若き人間に、「人を信じろ」とか「謙虚になれ」とか「勇気を出せ」とか、説いてやりたい。とくに「謙虚になれ」のほう。この文章も、10年後に読んだら死にたくなるぐらい酷いんだろうか。ひどいんだろうな。こういうブログの記事をふつうに読んでくれていた友人および両親ってすごいな、と思う。

で、そんなことはどうでもよくて今日のわたしの視野の苦しさのはなしだ。

強い光(たとえば蛍光灯)を見ていられない。目を閉じると楽になった感じはある。暗がりにいればだいぶマシになるが、明るい場所で作業していると、目の奥からじんわりと疲れが広がったような感じがする。たまに小刻みに左右に視界が揺れることもある。そのときは15分ぐらいすれば治る。

だいたいの症状を頭のなかに入れながら帰路を急ぐ。

実は医者は嫌いだ。とはいえ、結構目の痛みがひどくなってきていて、なにかしらの病気ではないかという恐れもあったので、同僚の勧めもあり一応予約を取ったけれど、ほんとうは全然行きたくなかった。まあ、病院が好きって人はいないだろうけれど。今日だってほんとうは予約をする一歩手前でやめるはずだった。気づかないうちにいつのまにかエンターキー押しちゃってて、確認画面がなかったので予約完了のメッセージが表示されてしまい、仕方なく追い立てられるように会社を出てきた。

一度も意識したことはなかったけれど、眼科は家のすぐ近くにあった。門構えはどちらかというと純喫茶みたいで、手洗いと職員休憩室しかない一階の壁には絵画が4つほどかかっている。床はオレンジのダイヤ模様の入った旧式のタイルが敷き詰められていて、弱弱しい光を放つ電灯が上から重たそうに釣り下がっている。シャンデリア、というほど豪勢ではないが、裸の電球というわけではなくて、そのあたりの中途半端な修飾が昭和っぽい。

どうして昔の階段ってこうも急なんだろう、スペースの問題かな、とか考えながら手摺を頼りに二階へ上がる。眼科って、もれなく目がかすんでたり頭が痛かったりする人間が通う場所なのに、こんなに急な階段があっていいのかよ、と思ったけれど内科や外科や小児科に比べたら、急患や重病人がいないだけまあ許されるか。

受付には3人ほどの女性がいた。よくあるカウンター形式じゃなくて、これまた古風な、なんていうか寮の入り口で寮母さんと鍵の受け渡しをする机みたいな、狭くて仕方ない小窓だけがひとつ取り付けられている形式の受付だ。少しかがんでのぞき込むようにしないと、相手の顔が見えない。ラーメン屋の一蘭でもあるまいしと、一応すこし膝を曲げて、視線が合うように「すみません」と言ってみる。はいはい、と答えが返ってきて、問診票を書く。保険証をわたす。

昔の受付って、どうしてこうも狭く、また相手の顔が見えないようになっているんだろう。平均身長が小さかったから、これでも見えていたんだろうか? なんて思っちゃったけど、よく考えたらわたしは平均身長より十センチ以上小さい人間なんだから、わたしがかがまないといけない以上、二十年とか四十年前の日本の人間だって同じだったはずだ。意外と「顔を合わせて」みたいな価値観がない時代だったんだろうか。そんなはずないか。単純に不合理だったのが、時代を経てちょっとずつ改良されていっただけなのか。

狭い待合室は、これまた革張りのソファやぶあつさのあるテレビなど、いまここだけは昭和時代なのだといわれてもうなずけるぐらい「昔」の香りがしていた。おばあちゃんの家がこんな感じだった気がする。どでかいコケシがあったり、大きな壺に枯れ枝が挿してあったり、テレビ台の中に古い雑誌がたくさん入っていたりするあたり、特にそれっぽい。六人ぐらい待っている人がいた。みな少なくともおばさん・おじさん以上で、若いと呼べそうな人は職員ふくめ私しかいなかった。結構繁盛しているみたいだ。あと二人ぐらい人がきたら、もう座れなくなりそう。

病院の壁って、ポスターがたくさんはってある。目が変だ、頭が痛い、と言いながら眼科に来てまでKindleで本を読むのはなにやら冒涜的に思えたので、壁にはってあるA1サイズのポスターを一つ一つ読んでいった。目がかすむ。眼科に貼るポスターなんだから、あんまり文字を小さくしないでほしい。

名前を呼ばれて、測定をするので、と機器の前に座らされた。まさかこれは、と恐ろしくなる。「風が出ますからね」と言われて、身体が硬直する。わたしは今までやってきたすべての検診・検査のなかで、これが一番きらいだ。子宮頸がん検診の歯ブラシごしごし検査よりも、マンモグラフィのぺたーんとなるやつよりも、鼻に綿棒突っ込まれるよりも、この、眼球に風をふきつけてくる検査、何を調べているのか知らないが、とかくもこれが一番嫌いだ。

はい、力抜いてーと十回ぐらい言われながら、頑張って目を開く。ちょっと触りますね。とまぶたを押し上げられる。わたしも別に子どもではないので、機器に取り付けられていた手摺のようなところをぐっと握って、額をくっつけ、なんとか目を開こうとする。風がやってくる。なんどかプシュプシュやられた。たぶん、わたしが動くからうまく撮れなかったんだろう。

「すみません、これ怖くて」との情けない声に、そうですよねーと柔らかく対応してくれるのをありがたがりながら、なんとか検査を終える。ほんとなにを調べているんだろう? これ。とあまりに気になったので検索してみたら、眼圧検査であることを知った。

名前を呼ばれて立ち上がり、医師の前の丸椅子に座る。この椅子がほんとうに嫌いなのだ。病院に来たときにしか座らない、丸くて、ローラーがついていて、パイプっぽい安物の作り。

 

結局、視界の不調の原因は分からなかった。医師は腕組みをしながら「分かりませんが」を枕詞にいくつかの診断を下した。いや、分からないんじゃないですか。と心のなかで何度か言い返した。まあいい。なんだか重篤なものが見つかったわけではない、というだけで……それだけでもういい。

 

「慰め程度」の目薬をもらった。ほんとうに医師自身が「慰め程度」とそう言った。結局ぜんぜん使っていない。未だに視界が横揺れすることがある。