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ほんとうは相手の気持ちなんてひとつも分からないくせに、お互いになにかを伝え合っているつもりでいる。言葉があるせいだ、と思う。記号で伝え合っている気持ちになっているから、伝わらない寂しさに出会ってしまった。
でもあるいは記号があるからこそ咀嚼できた感情だってある。切なさ、冷たさ、心細さ、あたりまではいい。このあたりは言葉なんてなくてもちゃんと受け止められるけど、憧憬とか**とか、そういう言葉は、言葉があったからこそ、ああこれは**なんだ――ってようやく落とし込めることもある。ぼくたちが言葉をもつ生き物でよかった。
「わかる」ってなんだろう。理解できるってことはどういうことなんだろう。どうしてわたしたちは、思春期のころあんなにも、「理解」を欲しがっていたんだろう。どうして誰かにわたしのことを、こんなにも、分かってほしいと思うんだろう。
教えてもらった大切なひとこと。きらめき。そういう僅かな記憶だけを頼りに生きている。つまらない物事を一つずつ片づけて、最後に光だけをひとつ残すことができますように、と祈っている。まるで流れ星に律儀に依頼書を出すあなたみたいに。
結局励ましてくる人っていうのは、目の前にいる落ち込んでいる人の存在をなかったことにしたいだけなんだ、それを遠ざけたいだけだ、相手のことなんてひとっつも思いやってなんかいやしない。だから君のことをやさしいなんて決して思わない。
もう二度となにかを頑張ったりすることなんてないんだろう。と思ったあとで、だとすると人生ってこれからどうなるんだろうなあと他人事みたいに考えてしまった。感情はそこにいる。たとえどれほどごまかしたところで、いなくなったりはしない。そのことを忘れないようにね。