meeparticle2

ぜんぶ嘘なので気にしないでください。

ぜんぶ嘘なので気にしないでください。メインブログはこちら:meeparticle

「もう小説を書けるようにはならない」と天啓を得たように思いこむ日がわたしにはあるんだけど、でもそういう日って、じゃあなにが出来るっていうの? と自分にもういちど努めて優しく聞いてみても、「なあんにも出来ない」なんて言い出す。なにもかもがゼロになって、すべてが息絶えたような気がしているのなら、そんなはずはない、そんなのは嘘だから、だから小説が書けないことだってきみのせいではないのかもしれなくて、そんなことで苦しまなくていいよ。とわたしに教えてやりたいけれど、そういう時のわたしは誰にも相談をしないので(もちろん自分自身に対しても)結局わたしは一人きりで泥のおくのおくまで沈んでしまう。地面についてしまうすこし前でなんらかの浮力を得て戻って来られることもある。でも大抵は「もう小説を書けるようにはならない」という言葉を信じてしまって「もう自分はなにひとつ、なにひとつをも成すことはできない」という気分になって、ではそういう人間がこの先まともに生きていくためにはどうしたらいいのだろう、と変に前向きに将来のことを考えるようになる。こういうときには決断をしてはならないのに、《前向き》だから結構ちゃんといろんな検討を始めたりする。保険に入ったりとか、資産形成を考えたりとか、そういう堅実な物事のことだ。たまに思い出して自分を奮い立たせてくれる言葉、ってみなさんにはあるでしょうか。わたしは、ドラえもんが言った、「人に出来て君だけに出来ないことなんてあるものか」です。他人が出来ることは、大抵わたしだって出来る。自分だけにできないことがある、なんて思うのは、結局のところ自分を特別視してかわいそうがりたいだけで、やはりそんな特別な欠点はわたしにはないのです。人に出来て、わたしだけに出来ないことなんてない。同じく、人に出来なくて、わたしだけが出来ること、なんてことも、当然ないわけですが。

でも、それでも、限られたメンバーのなかで、この中で、この仕事をいちばんうまくやれたのはわたしだったろう、と妥協したうえで自分にゆるしを与えられることもある。もっとうまくやれるひとが勿論この世界のどこかにはいただろうし、隣の部署にすらいたかもしれないが、でも、ぱっと見渡して、ある程度合理的に人員を探すなら、わたしは、わたしは、たいていの人よりもこの仕事をうまくやったほうだろう。もちろん彼らの不満がなかったとは言わないが、それでも……と。

自分で自分をゆるすことができる、このスキルは、精神にとって一番つよい盾になります。こんなに弱いこころを持っているくせに《何ものをも貫かない盾》を装備することが叶わないわたし達は、それでも、貫かれたあとにすぐに傷薬を塗ってやることが、できる、のかもしれない。もしも自分で自分をゆるすことができたなら。

 

まあでも、それが一番難しいんだよなあ。なにかを乗り越えたり、決断したり、かなしみを和らげたり、痛みを緩和することは、小説にもできるかもしれない。でも、自分で自分をゆるす、これは情緒というよりもなにかのスキルなのかもしれない。小説を読んで装備できるようなものではなく、自己啓発書みたい帯のうるさい本を買って、資格試験にのぞむような気持ちで身につけなくてはならないものなのかもしれない。

「たしかに失敗はしましたが、まあ、でも、きみがきみを許せるといいね」と初めて上司に言われたとき、わたしはその言葉が表す価値というものが、とてもよくよく分かってしまって、その場で泣いてしまいそうになったんですが、あまりに心が疲れていると、ありがとうございますすら言えなくて、「そうですね」と無難すぎる返事しかできなかった。