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手記と手鏡、それから


 始まりは一通の手紙だった、と記憶している。
 シェヘラザードは、冷岩によって作られた机の上で、ペンを躍らせていた。彼は武人だったが、書の読み書きが珍しくも出来た。一冊一冊を繰り返し発露させる彼の、白皙の感情。ただただ歌うように熱にうかされるように彼は文字を書き綴り、そして焼却していた。炎は彼にとって憧れの対象であり、酸素が失われるのを彼はこよなく愛していた。ふざけるまでもない、彼の愛情はあの炎の一点のきらめき、あるいは垂直の真昼、凍えるような暖炉のそばにあり、それ以外はすべて灰色の薄墨にぬりつぶされたつまらない戯曲の一節に落ちる。彼は言葉を欲していた。ただただ――そう、幸福になるためでも、財を得るためでもない。なにかしらの目的があるものでもなく、ただ、彼の手元のこの冷岩と同じく、そこにあるもの、ただ存在するものと一端として、その証左のためだけに、ペンが必要だったのだ。
 彼にとって文字とは己の心のそのまま生き写しに他ならなかった。文章は生きている。文字を書くことは、魂を削り、紙面に命を吹き込むことであり、つまりは病をあえて発露させるような愚行でもあると、彼ははっきりと認識できていた。彼にとって文字とは、文学とは――――いや、もうやめよう。ただ彼の愚かさを少しでも希釈したく、わたしはこうして彼の異常なれまる執着について書いている。しかしこれは正しくない。本当に、真に彼に誠意を見せたいと願うなら、彼の愚かさは愚かさのまま、そのままに密封し決して酸素をいれず、ただ生ものとして取り扱うべきなのである。
 そう、始まりは、一通の手紙だった。それ以外のなにも、彼の人生を壊す手がかりは存在し得なかった。文字に支配された彼の人生は、文字によって幕引きされる。そこまでをくるめて考えるのならば、彼が文字に魅了される性質を持って生まれてしまったその瞬間に、この数年にも及ぶ運命は決定されつくしていたといえなくもない。しかし、運命論は好きではない。すべてはあらかじめ定められていた――そうやって始まる物語ほど面白くないものもない。しかし、わたしが思うに、彼の運命はまさに決まっていたのだ。誰が毒牙にかかるのか。毒とはなにか。牙は何か――むろん、文字である。
 物語を先に進める。シェヘラザードは気に入りの青インクをもう一度吸わせようと、ペンを取って壷の中へひたした。その落水の音が何よりも好きだった。シェヘラザードは愛情深い男だった。ペンが思うぶんだけインクを吸うのを、男にしては辛抱強く待った。その短い時刻のなか、彼は手持ち無沙汰の気を受けて、見慣れた机上をわざわざ見渡した。それが悲劇の始まりだった。彼は一通の手紙を見つけてしまったのである。
 見覚えのない手紙だった。彼の身分に届けられるような手紙の場合、たいていは家紋入りの封筒が家名入りの封蝋で閉じられている。香がたち、それなりに威厳ある状態で存在しているのが常である。シェヘラザードにとって手紙はただの紙の束ではなく、ひとつひとつが契約を孕んだ宣誓書に値する。それゆえに、あまりに薄い封筒を彼は不審に思った。彼は手紙を取る。


(熱に浮かされながら 2017/11/08)