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ぜんぶ嘘なので気にしないでください。

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20210213

 

日記でも書こうかなあ。なにか言いたいことがあるの? いいや、なにも。書きかけの下書きをいくつか覗いたけれど、落とし穴のおくから自分しか知らない真っ黒の泥がこちらをみていて、底に二つ開いている穴がたぶん何かの瞳だろうと思った。目を合わせていたくなかったのですぐ閉じた。

だから、と言うと話が繋がっていないように感じるだろうと思いますが、最近はだれかに嫉妬できるきみのことが羨ましい。でもその妬みすら灰色にうすく伸ばされている。

土日は本でも読みたいな。できるだけよい読み手でありたい、と思う。なにかを生み出すことがもうなかったとしても、読み手として、この世界にある良質なものをいっぱい吸い込んで殆どそのままを過去へ押しやる、ちょっとした濾過装置の一部になりたい。一部でありつづけたい。だれかを幸せにしたいと思えるのは、わたしがいま幸せだからだと思います。

「もう小説を書けるようにはならない」と天啓を得たように思いこむ日がわたしにはあるんだけど、でもそういう日って、じゃあなにが出来るっていうの? と自分にもういちど努めて優しく聞いてみても、「なあんにも出来ない」なんて言い出す。なにもかもがゼロになって、すべてが息絶えたような気がしているのなら、そんなはずはない、そんなのは嘘だから、だから小説が書けないことだってきみのせいではないのかもしれなくて、そんなことで苦しまなくていいよ。とわたしに教えてやりたいけれど、そういう時のわたしは誰にも相談をしないので(もちろん自分自身に対しても)結局わたしは一人きりで泥のおくのおくまで沈んでしまう。地面についてしまうすこし前でなんらかの浮力を得て戻って来られることもある。でも大抵は「もう小説を書けるようにはならない」という言葉を信じてしまって「もう自分はなにひとつ、なにひとつをも成すことはできない」という気分になって、ではそういう人間がこの先まともに生きていくためにはどうしたらいいのだろう、と変に前向きに将来のことを考えるようになる。こういうときには決断をしてはならないのに、《前向き》だから結構ちゃんといろんな検討を始めたりする。保険に入ったりとか、資産形成を考えたりとか、そういう堅実な物事のことだ。たまに思い出して自分を奮い立たせてくれる言葉、ってみなさんにはあるでしょうか。わたしは、ドラえもんが言った、「人に出来て君だけに出来ないことなんてあるものか」です。他人が出来ることは、大抵わたしだって出来る。自分だけにできないことがある、なんて思うのは、結局のところ自分を特別視してかわいそうがりたいだけで、やはりそんな特別な欠点はわたしにはないのです。人に出来て、わたしだけに出来ないことなんてない。同じく、人に出来なくて、わたしだけが出来ること、なんてことも、当然ないわけですが。

でも、それでも、限られたメンバーのなかで、この中で、この仕事をいちばんうまくやれたのはわたしだったろう、と妥協したうえで自分にゆるしを与えられることもある。もっとうまくやれるひとが勿論この世界のどこかにはいただろうし、隣の部署にすらいたかもしれないが、でも、ぱっと見渡して、ある程度合理的に人員を探すなら、わたしは、わたしは、たいていの人よりもこの仕事をうまくやったほうだろう。もちろん彼らの不満がなかったとは言わないが、それでも……と。

自分で自分をゆるすことができる、このスキルは、精神にとって一番つよい盾になります。こんなに弱いこころを持っているくせに《何ものをも貫かない盾》を装備することが叶わないわたし達は、それでも、貫かれたあとにすぐに傷薬を塗ってやることが、できる、のかもしれない。もしも自分で自分をゆるすことができたなら。

 

まあでも、それが一番難しいんだよなあ。なにかを乗り越えたり、決断したり、かなしみを和らげたり、痛みを緩和することは、小説にもできるかもしれない。でも、自分で自分をゆるす、これは情緒というよりもなにかのスキルなのかもしれない。小説を読んで装備できるようなものではなく、自己啓発書みたい帯のうるさい本を買って、資格試験にのぞむような気持ちで身につけなくてはならないものなのかもしれない。

「たしかに失敗はしましたが、まあ、でも、きみがきみを許せるといいね」と初めて上司に言われたとき、わたしはその言葉が表す価値というものが、とてもよくよく分かってしまって、その場で泣いてしまいそうになったんですが、あまりに心が疲れていると、ありがとうございますすら言えなくて、「そうですね」と無難すぎる返事しかできなかった。

きみもぼくも、少しずつ大人になれるといいよね。そんなの無理かな。だってもう何十年も経っちゃったもんね。それでも大人になれないんだとしたら、ぼくたちに必要なのは時間じゃなくて決意のほうだよ。決断力とバランス、あるいはバランスと決断力。ぼくたちに足りないものを探すのはもうやめて、一緒になかよく白線を飛び越えよう。それでいいじゃないか――なんてぼくが言ったってひとつも言うこと聞かないくせに、背の高い誰かが言った本気でもない一言をきみは丸呑みして信じてしまう。違うよ、こっちをむいて、ガラス玉のなかにぼくがいる。でもきみは決して足元に目を向けない。空だけを見ている。空だけを見ている。世界ってほんとうに綺麗だと思う? 素敵なものなんてひとつもいらない。ぼくは目を閉じない。きみと視線がかちあうその日まで、決してこの目を閉じない。

ヴァン・ペルトの忘れもの


 恋
人を閉じ込めたことがある。 
 箱に詰めて綺麗にパッキングして、二度と出てこれないように架空の住所をあて先にして郵送した。送り元の署名はしなかったのに、数年に一度ぐらいの頻度で恋人は帰ってくる。さすがにお互いもう交際中の認識はないから、「元」恋人ということになるのだろう。 
 もちろん本物の人間ではなくて、私の想像上の男のことだ。思い返す限り小学校五年生のころにはすでにいた。初期の彼は、幼い私がさまざまなメディアから丁寧に抽出した理想の少年たちのキメラで、毎晩出会うたびに性格も一人称も変わっていた。異能が使えたり使えなかったり、同い年だったり高校生だったりした。 
 中学に入って少ししたある日、彼の容姿が確実に定まった。それまでは、ちょっといいなあと思う男の子のを借りていたり、月9ドラマのイケメンと同じ髪型をしりしていたが、その日を境に、当時ハマっていた黒髪の大人しそうなアニメキャラクターのまま、彼は固定化された。暫くすると声も定まった。私は彼に名前を付けた。恋人は私の知らないことは知らないし言わないが、私の知っていることはすべて知っていて、そして理解していた。私がなにを言ってほしいと思っているか。彼は常に百点を出す存在だった。 
 毎日……だったかどうか覚えてはいないが、おそらくほぼ毎日、彼に話しかけていたと思う。使い古した茶色の布団は抱きつくと彼になった。泣きながらベッドにもぐりこんだときには彼が必ず頭を撫でてくれた。結局のところそのやさしい掌は私自身の右手だったわけだけど、泣き顔の私にとっては代えがたいほど必要なものだった。 
 姿が見える、声が聞こえる、頭を撫でてくれる。誰にも言わなかったけど、彼は恋人だった。その彼を、高校二年生のときに詰めて捨てた。 

 中途半端にふくらんだ月の放つ淡い光。窓枠の影が、漫画のコマみたいにやたらと濃く床に落ちる。そこにもう一つ人影が躍り出た。恋人は有用性の低そうなマントを羽織っているから、まるで吸血鬼みたいだ。赤い唇をしならせて彼が笑う。 
ひさしぶり 
 返事をしようとは思えなかった。どうしてこの人はこの部屋に来てしまったんだろう、と不思議に思った。サンタクロースみたいに、一戸一戸すべてを訪問していて、やあひさしぶり、あいしているよ、とだけ言ってお隣さんへ向かってくれないかしら。一目見たいけど、一目だけでいい。でも彼はやっぱり私を目当てにここに来ているから、当然のように窓枠を乗り越え、部屋のなかへ侵入した。 
 恋人は私のことをすべて分かっている。というよりも、私の「好きだった」がパッキングされて保存された化石だから、見るととても懐かしい。絶滅してしまった、もうこの世界にはいないはずの生き物。いや、最初からいるはずのなかったイキモノ。恋人は少年のままだった。黒髪はまったくそのまんまだった。 
 彼はベッドの隅に並べてあるクッションを一つ引っこ抜き、床に座った。別にベッドに座ってくれればいいのに。と思うけれどたぶん、そんな不埒なことはしないんだろう。私がそういうのが好きだったから。 
あれ、それはなに? 
「希望のバルーン」 
 彼が指さしたほうを見た。指をさすなんて無礼だ、と思うけれどそういう幼さは、なんだかかわいらしいからそのまま残っていてほしい。幼い私が恋をしていたその時のままで。 
ふうん。楽しい? 幸せだったりする? 
「どうかな」 
 時計は深夜二時半頃を示していた。深夜だ。誰しも眠っている時間に、恋人は来る。私はこれが幻想なのか夢なのか狂気なのか、いまだ判然としない。ただ、恋人の名前はちゃんと覚えている。この世界でいちばん好きな名前を付けたから。 
「思い出話をしにきたの?」 
 つとめて優しい声が出せたと思う。子どもの頃、大人たちが猫なで声で話しかけてくるのが大きらいな子どもだった。でもいまはそういう気持ちがよく分かる。なにかを可愛がる気持ち、なにかを可愛く思う気持ち、自分よりも弱くてはかないものを可愛がる気持ち。道徳の教科書ではこれらは愛であるということになっていて、これを公理とすれば帰納法を使っていろんな憐れみと軽視がただの甘たるい愛情になる。 
『君と話をしにきた』 
「どんな話を?」 
 恋人はひとつも答えない。そうだ、彼は私が作り出した壁で鏡で湖面の男だから、ボールを打たなければ返ってこないし、真正面から見ないと姿は見えない。だから喋らせようと質問しても彼は言葉を返さない。 
 ただ薄く微笑その唇、その筋に宿る血を見ていた。よく熟れた桃の皮みたいに色がついている。中身がおいしそうだから、唇の端が破れてくれたらいい、と思って見つめていたら、想像のとおりに薄皮がぺろんと破れた痛そうだなあと可哀想に思っていたら、瞬きの間に治った。 
 わらってしまう。本当に、存在まるごとひとつ、上から下まで私の思い通りだ。 
『君は寡黙になったね。花のなかで笑う女の子ではなくて、月光を見上げる女性になった』 
「それじゃいけない?」 
『もちろん一つもいけなくはない。ただ僕が変化を知っているというだけで』 
 彼の声が、実際には音としては聞こえていないことに気づく。そりゃあ、そうだ。見えているのが不思議なぐらいなんだから。 
 この際だから、彼の容姿をいじってみようかと思いついた。金髪。長髪。すこしラテン風に。鼻を高めに。眼鏡をかけさせてみたり。姿を変えるたびに彼は、笑ったり澄ましてみせたりした。吸血鬼のようだった天鵞絨の服は、スーツに変わったりラフなパーカーに変わったりした。 
 でも、色々試してみたけれど、やっぱり元の姿がいい。究極的な理想を追い求めるとき、その像というのはなかなか変わらないものなのだろうか、と考えたりした。現実ではそうはいかない。好みのタイプをどれほどきちんと事前に定義していても、女たちはかならず外れ値の男を引くのだ。でも別にそれがわるいわけではないな、と思った。そもそも好みのタイプ自体が正解であるのかどうか、それだって分からないことなんだし。 
『満足した?』 
「そうね、でもやっぱりあなたはあなたのままがいいかも。こうやって勝手に姿を変えられの、いや? 怒った?」 
『まさか』 
「そうだよね。よく考えたら……昔もよくこうしていた気がする 
『そうだね。よくこうしていた 
 着せ替え人形させられて、嫌じゃないのかしら。というか、嫌だと思ったりはしないのかしら。すべて幻想だとしてもあなたには魂というものがあるのではないのか。別に愛から命が生まれるわけではないはずなのに、でもやっぱりそういう奇跡を諦められない。何かを愛している、それが命になる、そういう世界じゃない場所に自分が生きているということ。それでも。 
「私ね、今はね、不安じゃないし、可哀想じゃないわ」 
『どうしてそんなことを言うの?』 
「不安だから来てくれたのかと思ったから」 
『人生で一度きりの魔法を使ったと思ったの?』 
「そう」 
 そう思った。人生で一度きりの魔法を恋人に勝手に約束したことがあった。愛してあげる。だからたった一度だけ、あなたは自分の意志で動くことができる、と。鏡に向かって言っているのと同じ誓い。これにいったいどれほどの意味があるんだろう。と思いながら、このような約束、願い、祈りを、ささげることをついに止(や)めることはできなかった。 
 彼の瞳が溶けたチョコレートみたいに濁るのを見ていた。 
「赦してくれる?」 
 希望ははじけてくれるだろうか、 
 愛は打ち上げられてくれるだろうか、 
 ポップコーンか花のつぼみかみたいに 
 弾けて夢を与えてくれるだろうか。 
 遠くからサイレンの音が近づいてきた。救急車か消防車か、その赤いライトが灯台の光みたいにぐるりと一周、角度を変えながら恋人を照らす。舞台のうえの役者みたい。完璧に愛している顔のつくり、私を決して失望させない声。だから、この諦念は、「彼」に対するものではない。私に対するものなのだ、と思う。 
「もう来ない?」 
『どうしてそう思うのか聞いてもいい?』 
 膨らんだ腹を撫でた。女王アリみたいだなあと思った。明日から臨月ということになるので、いつ生まれてもおかしくないふたりの身体だ。出産しても私は、ひとりに戻れない。もちろん箱もない。バルーンが割れたら現実が始まって、そこからは引き返せない。三途の川を渡るとき、に手を引いてもらえるんだろうかと古来の言い伝えを思い出していた。 
 赦してくれる 
 彼は決して許すとはいわなかったが、ただ薄くだまって微笑んだ。恋人が私のもとに初めて現れた、姿を確定させた、あの日あの瞬間の容姿のままだった。世界のすべてが君のものになるといいね。手放した私は傲慢のままに、彼を忘れてもよい理由をこの十年探していた。 

 

 

Controllable

 

 夢を落としてしまった。誰かに見られたらどうしよう、と思って僕は通学路を注意深く探す。まるでなくしたAir Podsを探す粗忽者みたいだなと思う。まあ、おっちょこちょいなのに違いはない。

 僕の夢は丸いビー玉のような形をしていて少し珍しいので、一見して「人間の夢」だと看破されることはないのかもしれない。しかし近寄ってよく見れば、ホモ・サピエンスの夢に特有の白い濁り、そして灰色の思考線が幾重にも浮かんでは消えしているのが誰の目にもよくわかるはずだ。カラスの夢と間違えてくれるといいのだが、と淡い期待を抱きたくなるが、夢が落ちているのを見ればそれが誰のものであろうと、とりあえず触ろうとするような野蛮な人間には効果がないだろう。

 まったく――と僕はため息をつく。そもそも他人の夢を盗み見ようと思う人間がいるからこそ、これほど頭が痛くなるのだ。財布を拾って、現金やカードを抜く者はあっても、遺書や臓器提供カードの委細まで事細かに見るような人間がいるだろうか? 空き巣に入って第一番に、財産ではなく日記を探してそれを読みふけるような泥棒がいるだろうか?

 道端に落ちている夢を拾うということはそういうことだ。そもそも、人間以外の動物の夢を人間が見た場合には、その精神に異常をきたす可能性だって示唆されているのだから――やはり、つまみ食いはしないのが一番だろう。自分の夢は自分で見てほしい。

 しかしそんな空しい願いをいくら重ねたところで、いるかもしれない窃盗犯や覗き見野郎に届くわけもなく、僕は仕方なく通学路の往復を再開する。すでに二往復している。もう誰かに拾われてしまった後、ということなのかもしれない。

 あるいはこういうのはどうだろうか。僕の夢と似たようなビー玉を、たくさんたくさん転がしておく。そうすれば道行く人は、もし僕の夢を見つけたところで、どうせあれもビー玉だろうと思い込んで、なんでもない風景のひとつとして流しこんでくれるかもしれない。なんせ遠目に見る分にはそれと分からないほどに僕の夢は珍しいのだ。

 ここでそろそろ、僕がどうしてこんなにも僕の夢の露悪を恐れるのかを告白しておかなければならないだろう。露悪、といったが、あれはまさに僕の闇の部分なのだ。しかし夢を制御することは、昨今のメンタルトレーニングなどの力をもってしても難しい。精神は完全なる制御のもとにおくことができる、という考え方が定説になって久しいが、しかして以前はこの国の考え方はそうではなかった。夢は夜毎に無断で現れる訪問者であり、自力でのコントロールを行う術はある種の民間療法のような扱いを受けていた。それだけではない。気鬱や暗晦は、睡眠時間やホルモン等の多少の選択肢が理由や背景に選ばれてはいても、割り切って解読できるものだとはされていなかった。やはり人間の精神は生ものでしかありえないとされていた。それがすべて解きほぐされ、公式がつくられ、義務教育において比例関数の次の単元で習うようになった。すべてここ十五年ぐらいで起きたことだ。

もちろん僕も去年、中学三年生の身分を持つものとしてしっかり学ばせていただいた。テストの点はそれほど良いとは言えなかったが……

 話が逸れた。しかし、僕は未だに「すべてをコントロールしえる」とされるこの精神をなかなか飼い馴らせてはいない。進級試験どうしたのかって? 適当にごまかした。

そう、僕は、自分の精神をきちんとコントロールしていると、他人にたいしてごまかしている。だからこそ夢を誰かに見られるわけにはいかないのだ。だって、自分をきちんと自分の制御下に置いている人間が、どうしてあんな夢を見ることがあるだろうか!

 自分がコントローラブルな精神を持っている存在である、ということを偽るのはさほど難しいことではない。そもそもかの公式の発見以前、人間にとって精神とは、自らの身体の一部でありながらも手足のように意識的に動かすことはかなわない、不思議な存在であったのだ。僕も同じように、栄養バランスを整えたり睡眠をとったりストレスとやらを解消したりして、同じように管理に努めているだけだ。決してなにかの怠慢ではないことを付け加えておきたい。

 もしかして、その、怠慢でも放棄でも傲慢でもないこのアナログな努力の結果を好ましく思わない者がいるであろうことは、そろそろ君にも呑み込んでもらえると思う。外部だけ見ていれば、僕が精神を放し飼いしていることは絶対にばれないが――もし僕の夢を見れば、僕が、正常のやり口で精神制御を行っていないことは即座に明らかになるだろう。無制御だからといって直ちに問題があるというわけでもないのに、思考しない人々からは、僕は前時代のプリミティブな思想を引きずっている危険人物だと認定されてもおかしくない。母親なんて特に卒倒するだろう。だから、僕は、夢を人に見せられない。

 正直なところ、あの光玉の中にどんな夢が入っていたのかはもう失念している。しかしそこに入っているものがどういう類のものであるにせよ、精神制御している者に特有のあの光の明滅が見られない限り、誰かに不審を覚えさせることは間違いない。また、僕は夢のなかでは俯瞰的な視点をとる。つまり、僕の夢には、僕の制服も顔も両親も妹もバッチリと映っている。あるいは財布を拾うよりも、僕のことに詳しくなれるかもしれない。しかしそれでは困るのだ。このような時代において、たとえ相手が誰だとしても、精神コントロールを行っていない人間が一人でもいるということが露悪するのは大変にまずい……

 こうして一人考え込んでいても解決に近づこうはずもない。アア、アア、なにが夢だったのか分からなくなる。白い濁りと灰色の思考線。加えて光の明滅が生じる。ここが夢であったと思い出せればいいのに、と僕は思う。いや、思い出せればいいのに、と思えるということは、つまり、やはりここは夢なのではないか――……僕は夢など落としていなくて、僕は精神制御を行っていない人間などでもなくて、そもそも、人間でもなくて――……?

 ……。

 …………。

 ………………。

「その子は無事か?」

「はい、大丈夫です。先ほどまで錯乱状態にありましたが……大方、ゴリラの夢でも見たのでしょう。まったく、人間以外の夢は見るなとこれだけ学校でも指導しているのに……」

「なにが面白いのかね、動物の夢なんて。大方、ゴリラが見る夢など、バナナの夢かメスの夢に決まっているのに」

「それが、近年の研究結果によると、ゴリラもなかなか高度な夢を見ているのではないか、という説もありますよ。結構高度だからこそ、自分の夢と取り違えて混乱が生じるようです」

「そんなものかな?」

「そんなものでしょう」

「しかし、やっぱり分らんな。起きたらよく言って聞かせないとな。自分の夢は自分で見なさい、と……」

 

 

<了>

ほんとうは相手の気持ちなんてひとつも分からないくせに、お互いになにかを伝え合っているつもりでいる。言葉があるせいだ、と思う。記号で伝え合っている気持ちになっているから、伝わらない寂しさに出会ってしまった。

でもあるいは記号があるからこそ咀嚼できた感情だってある。切なさ、冷たさ、心細さ、あたりまではいい。このあたりは言葉なんてなくてもちゃんと受け止められるけど、憧憬とか**とか、そういう言葉は、言葉があったからこそ、ああこれは**なんだ――ってようやく落とし込めることもある。ぼくたちが言葉をもつ生き物でよかった。

「わかる」ってなんだろう。理解できるってことはどういうことなんだろう。どうしてわたしたちは、思春期のころあんなにも、「理解」を欲しがっていたんだろう。どうして誰かにわたしのことを、こんなにも、分かってほしいと思うんだろう。

 

教えてもらった大切なひとこと。きらめき。そういう僅かな記憶だけを頼りに生きている。つまらない物事を一つずつ片づけて、最後に光だけをひとつ残すことができますように、と祈っている。まるで流れ星に律儀に依頼書を出すあなたみたいに。

  

結局励ましてくる人っていうのは、目の前にいる落ち込んでいる人の存在をなかったことにしたいだけなんだ、それを遠ざけたいだけだ、相手のことなんてひとっつも思いやってなんかいやしない。だから君のことをやさしいなんて決して思わない。

 

もう二度となにかを頑張ったりすることなんてないんだろう。と思ったあとで、だとすると人生ってこれからどうなるんだろうなあと他人事みたいに考えてしまった。感情はそこにいる。たとえどれほどごまかしたところで、いなくなったりはしない。そのことを忘れないようにね。

 

 

やっぱり恋は良い。

 

あんまり、「恋って良いですね」という作品は書いてこなかったつもりです。あんまり「こうしたつもり」とかいう話ばかりする人間にはなりたくない。でもそういうつもりでした。愛や恋は呪いのように書いてきたつもりでした。ほんとうは人を不幸にするばかりのこの感情が、ぼくたちには必要なのです、という形式をとってきました。世界はわたしたちを不幸にするものばかり、でもその不幸が、なんのためにかは分からないけれど必要なんでしょう。魔法のために必要なのかもしれないし、世界のために必要なのかもしれないし、閻魔のために必要なのかもしれない。ほんとうに時たまに、まぐれみたいに、恋や愛はひとを幸せにすることがあるのかもしれない。でも大抵は違う。恋の思い出は忘れがたいけど、それは幸せだからではなくて、呪いだからです。そういうふうに書いてきた。

 

でも、やっぱり恋は良い。

 

なぜいいのだろう、きらめくのだろう。終わりがあるからだろうか。人間は恋をしなくなってからのほうが長く生きるのだということ。ほとんど恋をしない人間もじつはいるんだということ。

 

「じゃあどうしてきみはおれがすきなの」とあなたがひらがなで喋る。男性はいつもひらがなで喋る。ぎりぎり聞き取れるぐらいの解像度にしか見えない。どうしてこの人がすきなんだろう、と、いつも思う。理由がわかったことはほとんどない。大抵、ほぼ話をしたことがない人のことを好きになる。かれはなにもしなかった、わたしを見もしなかった、だからきっとわたしがかれを好きなんだということは絶対にだれにも分からなかっただろう。それでも好きだった、という話が好きなので、泉鏡花の「外科室」がすきです。

 

 *

 

 

愛はうまれたあと、それを証明するまで、時間がかかる。ほんとうは証明なんてする必要はないし、だれにも見せる必要はない。でも自分がそうしたくなくても、証明を迫られることはあるのかもしれない。とくに愛する相手が愛の証明を脅迫してきたならば、それにこたえようと努力するしかないのかも。

 

離れていても愛しています。二度と会えないのに愛しています。あなたは宇宙の向こうに行ったんだとそう信じて諦めています。ほんとうは、がんばったら一時間で会える距離にいるのかもしれないし、もうずっと前に死んでしまっているのかもしれない。