夢を落としてしまった。誰かに見られたらどうしよう、と思って僕は通学路を注意深く探す。まるでなくしたAir Podsを探す粗忽者みたいだなと思う。まあ、おっちょこちょいなのに違いはない。
僕の夢は丸いビー玉のような形をしていて少し珍しいので、一見して「人間の夢」だと看破されることはないのかもしれない。しかし近寄ってよく見れば、ホモ・サピエンスの夢に特有の白い濁り、そして灰色の思考線が幾重にも浮かんでは消えしているのが誰の目にもよくわかるはずだ。カラスの夢と間違えてくれるといいのだが、と淡い期待を抱きたくなるが、夢が落ちているのを見ればそれが誰のものであろうと、とりあえず触ろうとするような野蛮な人間には効果がないだろう。
まったく――と僕はため息をつく。そもそも他人の夢を盗み見ようと思う人間がいるからこそ、これほど頭が痛くなるのだ。財布を拾って、現金やカードを抜く者はあっても、遺書や臓器提供カードの委細まで事細かに見るような人間がいるだろうか? 空き巣に入って第一番に、財産ではなく日記を探してそれを読みふけるような泥棒がいるだろうか?
道端に落ちている夢を拾うということはそういうことだ。そもそも、人間以外の動物の夢を人間が見た場合には、その精神に異常をきたす可能性だって示唆されているのだから――やはり、つまみ食いはしないのが一番だろう。自分の夢は自分で見てほしい。
しかしそんな空しい願いをいくら重ねたところで、いるかもしれない窃盗犯や覗き見野郎に届くわけもなく、僕は仕方なく通学路の往復を再開する。すでに二往復している。もう誰かに拾われてしまった後、ということなのかもしれない。
あるいはこういうのはどうだろうか。僕の夢と似たようなビー玉を、たくさんたくさん転がしておく。そうすれば道行く人は、もし僕の夢を見つけたところで、どうせあれもビー玉だろうと思い込んで、なんでもない風景のひとつとして流しこんでくれるかもしれない。なんせ遠目に見る分にはそれと分からないほどに僕の夢は珍しいのだ。
ここでそろそろ、僕がどうしてこんなにも僕の夢の露悪を恐れるのかを告白しておかなければならないだろう。露悪、といったが、あれはまさに僕の闇の部分なのだ。しかし夢を制御することは、昨今のメンタルトレーニングなどの力をもってしても難しい。精神は完全なる制御のもとにおくことができる、という考え方が定説になって久しいが、しかして以前はこの国の考え方はそうではなかった。夢は夜毎に無断で現れる訪問者であり、自力でのコントロールを行う術はある種の民間療法のような扱いを受けていた。それだけではない。気鬱や暗晦は、睡眠時間やホルモン等の多少の選択肢が理由や背景に選ばれてはいても、割り切って解読できるものだとはされていなかった。やはり人間の精神は生ものでしかありえないとされていた。それがすべて解きほぐされ、公式がつくられ、義務教育において比例関数の次の単元で習うようになった。すべてここ十五年ぐらいで起きたことだ。
もちろん僕も去年、中学三年生の身分を持つものとしてしっかり学ばせていただいた。テストの点はそれほど良いとは言えなかったが……
話が逸れた。しかし、僕は未だに「すべてをコントロールしえる」とされるこの精神をなかなか飼い馴らせてはいない。進級試験どうしたのかって? 適当にごまかした。
そう、僕は、自分の精神をきちんとコントロールしていると、他人にたいしてごまかしている。だからこそ夢を誰かに見られるわけにはいかないのだ。だって、自分をきちんと自分の制御下に置いている人間が、どうしてあんな夢を見ることがあるだろうか!
自分がコントローラブルな精神を持っている存在である、ということを偽るのはさほど難しいことではない。そもそもかの公式の発見以前、人間にとって精神とは、自らの身体の一部でありながらも手足のように意識的に動かすことはかなわない、不思議な存在であったのだ。僕も同じように、栄養バランスを整えたり睡眠をとったりストレスとやらを解消したりして、同じように管理に努めているだけだ。決してなにかの怠慢ではないことを付け加えておきたい。
もしかして、その、怠慢でも放棄でも傲慢でもないこのアナログな努力の結果を好ましく思わない者がいるであろうことは、そろそろ君にも呑み込んでもらえると思う。外部だけ見ていれば、僕が精神を放し飼いしていることは絶対にばれないが――もし僕の夢を見れば、僕が、正常のやり口で精神制御を行っていないことは即座に明らかになるだろう。無制御だからといって直ちに問題があるというわけでもないのに、思考しない人々からは、僕は前時代のプリミティブな思想を引きずっている危険人物だと認定されてもおかしくない。母親なんて特に卒倒するだろう。だから、僕は、夢を人に見せられない。
正直なところ、あの光玉の中にどんな夢が入っていたのかはもう失念している。しかしそこに入っているものがどういう類のものであるにせよ、精神制御している者に特有のあの光の明滅が見られない限り、誰かに不審を覚えさせることは間違いない。また、僕は夢のなかでは俯瞰的な視点をとる。つまり、僕の夢には、僕の制服も顔も両親も妹もバッチリと映っている。あるいは財布を拾うよりも、僕のことに詳しくなれるかもしれない。しかしそれでは困るのだ。このような時代において、たとえ相手が誰だとしても、精神コントロールを行っていない人間が一人でもいるということが露悪するのは大変にまずい……
こうして一人考え込んでいても解決に近づこうはずもない。アア、アア、なにが夢だったのか分からなくなる。白い濁りと灰色の思考線。加えて光の明滅が生じる。ここが夢であったと思い出せればいいのに、と僕は思う。いや、思い出せればいいのに、と思えるということは、つまり、やはりここは夢なのではないか――……僕は夢など落としていなくて、僕は精神制御を行っていない人間などでもなくて、そもそも、人間でもなくて――……?
……。
…………。
………………。
「その子は無事か?」
「はい、大丈夫です。先ほどまで錯乱状態にありましたが……大方、ゴリラの夢でも見たのでしょう。まったく、人間以外の夢は見るなとこれだけ学校でも指導しているのに……」
「なにが面白いのかね、動物の夢なんて。大方、ゴリラが見る夢など、バナナの夢かメスの夢に決まっているのに」
「それが、近年の研究結果によると、ゴリラもなかなか高度な夢を見ているのではないか、という説もありますよ。結構高度だからこそ、自分の夢と取り違えて混乱が生じるようです」
「そんなものかな?」
「そんなものでしょう」
「しかし、やっぱり分らんな。起きたらよく言って聞かせないとな。自分の夢は自分で見なさい、と……」
<了>